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北条氏彦[ほうじょう うじよし]
北条 氏彦(ほうじょう うじよし)は、河内狭山藩の第7代藩主。 == 生涯 == 寛保2年(1742年)、第6代藩主・北条氏貞の長男として生まれる。宝暦8年(1758年)、父の死去により家督を継ぐ。 当時の狭山藩では政治腐敗や財政難などから、藩政改革が目指されていた。父・氏貞の時代にも一代家老として田中仙右衛門が登用されたが、その改革に反対する旧臣である小田原衆の圧迫を受けて辞任に追い込まれ、藩の主導権は保守的な小田原衆が握っていた。しかし、このような事態に不満を持った藩士の山上郷助や村上庄多夫らは、家老らを排除して藩政改革を目指そうとしていた。そして宝暦10年(1760年)8月11日、この2人は家老を殺害して藩政改革を行なおうとしたが、小田原衆の反撃を受けて山上は殺害され、村上は切腹に追い込まれた。しかし氏彦自身は19歳の若年のため、結局は何もすることができず、改革も遅々として進むことがなかった(狭山騒動)。 明和6年(1769年)4月27日に死去、享年28。跡を長男の北条氏昉が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条氏彦」の詳細全文を読む
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