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北条 氏貞(ほうじょう うじさだ)は、河内狭山藩の第6代藩主。 元禄16年(1703年)、第5代藩主・北条氏朝の長男として生まれる。享保20年(1735年)に父が死去したため、家督を継ぐ。小田原以来の後北条氏譜代の家臣による藩政の専横を抑えきれず、藩政の腐敗が進んだ。窮余の一策として、一代家老に田中仙右衛門を登用して藩政改革を行なおうとしたが失敗する。1753年(宝暦3年)、北条氏とゆかりの深い願成就院の復興に着手する。重臣らとの対立は、宝暦8年(1758年)4月27日に氏貞が死去し、子の氏彦が跡を継いですぐに起こった狭山騒動の遠因となった。享年56。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条氏貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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