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北条貞宣 : ウィキペディア日本語版
北条貞宣[ほうじょう さだのぶ]

北条 貞宣(ほうじょう さだのぶ)は、鎌倉時代末期の武将。北条氏の一門。父は大仏流北条宣時とされるが、北条政忠(まさただ)〔この場合、系譜は北条時房佐介流大仏流の祖)―時盛(佐介流)―時景時顕―政忠(―貞宣)となる(世界帝王事典 北条氏(時房流) より)。〕とする系図もある。
元服時に得宗家当主・北条貞時より偏諱(「貞」の1字)を受けて貞宣と名乗る〔紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年、p.15系図・P.21)、新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その78-大仏貞宣 細川重男のブログ記事)より。角田朋彦 「偏諱の話」(再興中世前期勉強会会報『段かづら』三・四、2004年、p.21)でも貞時の代には「貞」の字が「得宗→御家人」という形で授与される図式が成立していたことが指摘されている。尚、貞時が得宗家当主であった期間(1284年-1311年)の元服ということを考えると、早くとも1270年前後の生まれと推定される(貞房の弟であれば貞房の生まれた文永9年(1272年)以降となる)。〕。もう一方の「宣」の字は宣時に由来すると考えられる。
正宗寺本「北条系図」、佐野本「北条系図」、前田育徳会所収の「平氏系図」による記述〔新訂増補「鎌倉政権上級職員表」 その78-大仏貞宣(細川重男のブログ記事)より。〕と「公衡公記」における正和4年(1315年)の鎌倉大火の記事で「丹波守貞宣の屋敷が類焼した」と書かれていることから、官途は丹波守であったと推定される。子には時英高貞貞芙、女子がいたと伝わる。
政治的な活動としては、正和2年(1313年)、甥の北条維貞と交替で引付頭人に就任、死去する元応2年(1320年5月まで務めたとされる。
「続千戴和歌集」「続後拾遺和歌集」に、それぞれ一首歌が採録されている。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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