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北条貞将 : ウィキペディア日本語版
北条貞将[ほうじょう さだゆき]

北条 貞将(ほうじょう さだゆき〔安田元久 編『鎌倉・室町人名事典コンパクト版』(新人物往来社、1990年)p.539等では「さだまさ」と読まれてきたが、20世紀末に「さだゆき」であることが確認されている(『鎌倉将軍・執権・連署列伝』P.196(「金沢貞将」の項、執筆:細川重男)、典拠は『金沢文庫資料図録』P.250)。〕)は、鎌倉時代末期の北条氏金沢流武将鎌倉幕府第17代執権であったとする説もある(後述)。
鎌倉幕府15代執権・北条貞顕嫡男〔。母は北条時村の娘。屋号を用いて金沢(かねさわ)貞将とも呼ばれる。
鎌倉時代末期の倒幕運動の中で幕府軍の将として各地を転戦して活躍したが、新田義貞軍に敗れて壮烈な最期を遂げた。この時、父と同じく
== 生涯 ==
乾元元年(1302年)生まれと推定されている〔前田元重の推定(前田元重編「金沢貞顕略年譜」)。〕。兄に顕助がいるが庶子扱いされているので、正室(北条時村の娘)の長男である貞将が嫡子である。
文保2年 (1318年)に評定衆となり、引付五番頭人などを務める〔『金沢文庫古文書』〕。この頃に出自は不明であるが正室を迎えている〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉87頁。〕。またこの頃には従五位下の位階と右馬権頭の官位を持っていたとされ、文保2年の6月25日に評定衆に列し、官途奉行を兼任した。12月には引付衆5番頭に就任している〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉96頁。〕。
正中元年(1324年)9月19日に正中の変が発生すると〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉105頁。〕、11月16日に六波羅探題南方となり上洛するが、この時に貞将は5000騎の軍勢を率いて上洛した〔(『花園天皇宸記』)『金沢貞顕』〈人物叢書〉106頁。〕。貞将は以後、執権探題として京都の動静を探り職務を遂行していった〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉106頁。〕。上洛してわずか3日後に六条坊門猪熊から出火した火事を鎮火している〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉106頁。〕。嘉暦4年(1329年)8月1日に越後守から武蔵守に転任する〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉114頁。〕。
元徳元年(1329年)より父・貞顕の根回しもあり〔同年7月22日付書状で貞顕が「今度は下向相違なく候へかしと、念願の外他なく候」とある。『金沢貞顕』〈人物叢書〉120頁。〕、元徳2年(1330年)4月に探題職辞任が決定し〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉122頁。〕、7月11日に正式に辞任して京都を出発した〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉124頁。〕。鎌倉に帰還した後の7月24日に引付1番頭人に任じられる〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉124頁。〕。
元弘3年/正慶2年(1333年)、隠岐を脱出した後醍醐天皇に呼応して5月8日に新田義貞上野新田庄の生品神社で挙兵すると〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉146頁。〕、幕府軍の大将として防衛のため下総下河辺荘を目指して進発し、六浦庄で軍勢を整えたが、武蔵鶴見川付近(横浜市鶴見区)で義貞に与した従兄の千葉貞胤小山秀朝の軍勢に敗れて鎌倉に引き返した〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉146頁。〕〔。
鎌倉に戻ると鶴見の敗戦より軍勢を再編成していたが、洲崎の戦いで赤橋守時軍が新田軍に敗れて壊滅すると守時軍に代わって巨福呂坂を防備する〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉148頁。〕。ここには新田氏の一族である堀口貞満に攻められ〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕、戦いは5月20日から5月22日まで激しく攻め続いたという〔(『有浦家文書』)『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕。軍記物語『太平記』巻第10の「大仏貞直金沢貞将討死事」では貞将軍は連戦で兵力が800人にまで減少したため、北条一門の篭る東勝寺に撤退して得宗北条高時に最後の挨拶を行なったが、この時に高時からそれまでの忠義を賞されて六波羅探題の両探題職と相模の守護職を与えられたとしている〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕。だが当時の貞将は引付頭人1番の職にあり、また六波羅探題職もかつて在職経験があるため逆に左遷に近い恩賞を与えられている事になる(恩賞になるのであれば父・貞顕と同じ連署執権への就任だけである)〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕。
そして5月22日、新田義貞軍に対し突撃を敢行して嫡男の忠時ら多くの金沢一族と共に戦死した〔『金沢貞顕』〈人物叢書〉149頁。〕〔。その最期は壮烈な描写で記されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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