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北条 長順(ほうじょう ちょうじゅん、生年不詳 - 永禄12年12月6日(1569年)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で覚胤の名も残る〔下山(2006)p559〕。北条幻庵の3男で後北条氏の家臣〔。 永禄12年(1569年)、武田氏による駿河侵攻からの北条氏との敵対により、三増峠の戦い後の第三次駿河侵攻の際に武田勝頼の攻撃を受け駿河蒲原城(静岡県)に篭城するが落城、兄である氏信(北条綱重)と共に討死した〔。 法名は融深(妙覚院融深殿)〔。 == 脚注 == == 参考文献 == * 。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北条長順」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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