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北橋 健治(きたはし けんじ、1953年3月19日 - )は、日本の政治家。福岡県北九州市長(第12・13・14代)、民社協会専務理事。衆議院議員(6期)、衆議院環境委員長を務めた。 == 来歴 == 兵庫県西宮市生まれ。母親は広島で被爆したため、北橋自身は被爆二世である〔中国新聞、2012年6月23日、3頁〕。甲陽学院高等学校、東京大学法学部卒業。東京大学在学中、ヨーロッパの社会民主主義を研究するため、学内に社会思想研究会を設立した。同会のメンバーには国際自由労働組合総連盟のアジア太平洋組織の書記長を務めた鈴木則之がいる。東大卒業後、1977年から民社党に勤務する。 1986年、第38回衆議院議員総選挙に民社党公認で旧福岡2区(定数5)から出馬し、得票数3位で初当選した。旧福岡2区の同期当選には、後に小選挙区比例代表並立制導入以降、福岡9区で議席を争う自由民主党の三原朝彦がいた。1990年の第39回衆議院議員総選挙では次点で落選するが、1993年の第40回衆議院議員総選挙で国政に復帰。この選挙で自民党は衆議院で過半数の議席を失い、北橋が所属する民社党も加わった非自民8党派の細川連立政権が発足した。 1994年、民社党解党に伴い新進党結党に参加。1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で福岡9区から出馬し、新党さきがけ前職の三原朝彦を破り、3選。1997年7月に新進党を離党し、民主改革連合に入党。1998年、民主改革連合の解散により民主党に合流し、民主党入党後は、大学の同期である岡田克也の側近。同年、衆議院環境委員長に就任。2000年の第42回衆議院議員総選挙では、新党さきがけ解党後に自民党に復党した三原朝彦や日本共産党の小沢和秋を福岡9区で破り、4選(小沢は比例復活)。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、福岡9区で三原に3,490票差まで詰め寄られたが、議席を維持した(三原は比例復活し、7年ぶりに国政復帰)。 2005年の第44回衆議院議員総選挙では初めて自民党の三原朝彦に小選挙区で敗北し、重複立候補していた比例九州ブロックで6選。翌2006年12月、民主党を離党し衆議院議員を辞職(北橋の辞職により、比例九州ブロックで楠田大蔵が繰り上げ当選)。2007年2月、北九州市長選挙に無所属(民主・社民・国民新推薦)で出馬し、当選。非自民系の北九州市長の誕生は40年ぶりであった。2011年2月の北九州市長選挙では、特定の政党の推薦は受けず、「市民党」を掲げて再選。 2015年の北九州市長選挙に際しては、「単独推薦」を条件に自民党福岡県連から推薦を受けた一方で、古巣である民主党をはじめ公明党、社会民主党、連合の地方組織からも支援を受け、三原朝彦の甥で元秘書の三原朝利らを大差で破り、3選。北橋の圧勝に終わったが、投票率は35.88%で、前回(37.0%)を下回り過去最低を更新した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北橋健治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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