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北海道農事試験場 : ウィキペディア日本語版
北海道農事試験場[ほっかいどうのうじしけんじょう]
北海道農事試験場(ほっかいどうのうじしけんじょう)は、北海道にかつて設けられた公立の農業試験機関である。ここでは、後身の北海道農業試験場が1950年に国立と北海道立に分離するまでの歴史を述べる。
== 概要 ==
北海道における農業試験研究は、官園札幌農学校を中心に行われていたが、1882年に開拓使が廃止された後官園は整理縮小の道を歩み、1894年までに廃止された。一方で、1886年に北海道庁が設置されてからは、開拓が内陸に進むにしたがって新開地に試験場の新設が進められた。すなわち1886年には忠別農作試験場が、1895年には十勝農事試作場がそれぞれ新設された。また従来否定的であった稲作が奨励に転じたことから、1893年には上白石、真駒内および亀田に稲作試験場が新設され、さらに、同年には北海道に広く分布する泥炭地における試験を行うために、幌向(ほろむい)および対雁(ついしかり)に泥炭試験地が新設された。
その後、1989年に府県農事試験場国庫補助法が、1900年に拓殖10カ年計画がそれぞれ策定されたことから、全道的な視野に立った農業試験研究と農業技術普及を所轄するために、1901年に国費(北海道拓殖費)によって北海道農事試験場が設立された。あわせて地方費により北海道庁地方農事試験場が設立され、上川農事試作場をその本場とし、十勝および白石をその支場とする体制がとられた。その後も各地において試験場や試験地の改廃があったが、1910年には第1期北海道拓殖計画の実施に伴い、系統的な秩序ある試験研究を行う目的から、北海道庁立の4農事試験場を国費に移し北海道農事試験場の支場とした。同時に隔地試験地を本場の直轄とし、あわせて地方費により北海道庁立農事試作場を設立し、試験研究は本場-支場-試験地-試作場の系統で運営されることとなった。その後も隔地試験地等の新設や移管がおこなわれたが、1936年には北海道庁立農事試作場を農事試験場試作場とし、1942年には試作場を分場とし、さらには北海道庁種畜場北海道庁種羊場を併合して、北海道農業試験場として農畜一体の総合試験場として再編された。
1945年に第二次世界大戦が終わり、食糧増産が至上課題となる中で、事業効率を高める狙いから、農林省費で地方の農事試験場に委託していた農林省指定試験を直営とするために、1947年に北海道農業試験場より札幌農業改良実験所が分離設置された。さらに、GHQの指令による全国的な試験場再編にあわせ、1950年には農林省が所管する国立の北海道農業試験場と、普通地方公共団体となった北海道庁が所管する北海道立農業試験場北海道立種畜場北海道立種羊場に分離された。
その沿革を日本国内の他の農業試験場と比べると、国立の試験場が農事・園芸・畜産等の分野別に農商務省農林省により設置されて各地に支場をおき、その他に府県立の試験場が設置されていたのに対して、北海道農事試験場は拓殖費を扱った内務省により設置され、なおかつ内務省が所管していた旧北海道庁の地方費も合わせて運営されており、さらに他の国立の農業試験場が農畜一体の総合試験場となったのが第二次世界大戦後であったのに対して、北海道では第二次世界大戦中に総合化されていたなど、特異な経緯を持つ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「北海道農事試験場」の詳細全文を読む



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