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北京議定書(ぺきんぎていしょ)は、1901年9月7日に北京で調印された、義和団の乱における列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書。日本の外交文書における正式名称は、北清事変に関する最終議定書である。また、中国ではその年をとって辛丑条約(しんちゅうじょうやく)、辛丑和約(しんちゅうわやく)ともいう。欧米では Boxer Protocol の呼び名が一般的である。 なお、1900年10月から始まった和議交渉から、その内容ごとに逐次列強国と清国間で協定を締結し、一部は既に施行されていた。本議定書はその条件履行の最終確認として、双方全権出席の下、調印されたものである。 == 調印国と全権 == === 列強国側 === * ドイツ帝国:アルフォンス・ムン・フォン・シュヴァルツェンシュタイン(:en:Alfons Mumm von Schwarzenstein) * オーストリア=ハンガリー帝国:モーリッツ・フォン・ヴァールボルン(Moritz von Wahlborn) * アメリカ合衆国:ウィリアム・ウッドヴィル・ロックヒル * フランス:ポール・ボー(Paul Beau) * イギリス:アーネスト・サトウ * 大日本帝国:小村寿太郎 * ロシア帝国:ミハイル・ニコラエヴィチ・ド・ギールス(Michael Nikolajewitsch de Giers) * イタリア王国:ジュゼッペ・サルヴァーゴ・ラッジ(Giuseppe Salvago Raggi) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北京議定書」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Boxer Protocol 」があります。 スポンサード リンク
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