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北畠具房[のち]
北畠 具房(きたばたけ ともふさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。伊勢国司北畠家の第9代当主。 == 生涯 == 天文16年(1547年)、第8代当主・北畠具教の嫡男〔として生まれる。 永禄6年(1563年)、父・具教が隠居し家督を相続したが、永禄12年(1569年)10月に父と共に織田信長と和睦し、信長の次男・茶筅丸(具豊)(のちの織田信雄)を養嗣子として迎えることになる〔岡野友彦『北畠親房』(ミネルヴァ書房、2009年)250頁〕。天正3年(1575年)に具豊が北畠家の家督を継ぐと、中の御所〔大西源一『北畠氏の研究』(鹿東文庫、1960年)〕と敬称されるようになる。 天正4年(1576年)11月、大台の三瀬台に隠棲していた父・具教が信長・信意(具豊改め)父子によって殺害される(三瀬の変)〔岡野友彦『北畠親房』(ミネルヴァ書房、2009年)250-251頁〕、と、具房は幽閉の身となり、その身柄を滝川一益に預けられて安濃郡河内に3年間幽閉された〔。 後に幽閉は解かれ、名を信雅(のぶまさ)に改めた〔。その直後の天正8年(1580年)1月5日に死去。享年34〔『多芸録』によると没年は慶長8年(1603年)に52歳で没とする異説もある〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北畠具房」の詳細全文を読む
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