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北畠 利顕(きたばたけ としあき)は、戦国時代の武士。 == 事績 == 北陸奥の名族、浪岡氏の別家川原御所の北畠顕重の嫡男として生まれる。祖父北畠具信は、所領問題から永禄5年(1562年)宗家浪岡氏当主浪岡具運を殺害し(川原御所の乱)、その結果具運の弟浪岡顕範に居館の川原館を攻められ、殺害された。残党は水木館に籠るも落城し、利顕は大浦氏の元へ逃れて家臣となった。宗家浪岡氏滅亡後の天正7年(1579年)7月4日、比山六郎、比山七郎、浪岡氏一族の北畠顕則、滝本重行らが津軽へ来襲し、六羽川合戦が発生し、大浦氏方として戦い、討ち死にした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北畠利顕」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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