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北畠顕成[きたばたけ あきなり]
北畠 顕成(きたばたけ あきなり)は、南北朝時代の公卿。贈右大臣北畠顕家の嫡男である。南朝に仕えたが、事績には不明な点が多い。後世の所伝では、『太平記』作者の一人、また浪岡氏や村上水軍の祖に擬せられる。 == 経歴 == 後醍醐天皇のために忠死した北畠顕家の遺児であることから、南朝で相当の寵愛を受けていたであろうと想像されるが、それを物語る史料は確認できない。正平一統の正平7年(1352年)1月従四位上に昇叙したのが初見〔『園太暦』同年正月5日条〕。やがて累進して公卿に列し、天授4年/永和4年(1378年)従二位権大納言に叙任されたというが〔『南方紀伝』〕、さらに内大臣へ昇進したことを示唆する史料があり〔『仁和寺諸院家記』菩提院の項には、前大僧正覚杲について、「号内大臣■■、中院内大臣顕成公息、南方北畠准后舎弟〔ママ〕云々」との注記がある。〕、これが極官であろう。一説には、出家して行意と号したとされる。『南朝公卿補任』には元中3年2月28日(1386年3月28日)に薨去したと伝えるが、これは以下に諸説として列挙する所伝と必ずしも符合しない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北畠顕成」の詳細全文を読む
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