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北県[きたけん]
北県(きたけん、ハイチ語: , ノー)はハイチ北部の県 (Depatman)。県庁所在地はカパイシャン。 面積は約 2,106 km² で人口は 872,200 人 (2002年)。北にカリブ海に面し、東に北東県、南に中央県、南西にアルティボニット県、西に北西県と接する。カプ・アイシアン郡、アキル・ディノー郡、グランヌ・リヴィエ・ディノー郡、サン・ラファイェル郡、オボイ郡、ランベ郡、プレザンス郡の7つの郡 (awondisman) が置かれている。 == 歴史 == 1789年当時砂糖のプランテーションにより北県の辺りはサン=ドマングでも最も栄えた地域だった。山塊に遮られ奴隷たちが他の地域から孤立していたため、入植者は特に経済的な自治を強く望み、奴隷たちが反乱に参加しないだろうと予想したが、1791年8月22日多くの奴隷が蜂起し内戦が始まった。数千の奴隷が自由を求め入植者と戦った。10日後に奴隷たちは北県全域を掌握し、白人は幾つかの防備された拠点に固まった。その後2ヶ月間奴隷たちは2千の白人を殺し、280の農園を焼き払った〔Jan Rogozinski, ''A Brief History of the Caribbean'', New York: Facts on File, Inc., 1999. p.167, ISBN 0-8160-3811-2〕。これがハイチ革命の始まりだった。 1804年ハイチは自由な共和国となったが、南北に分裂し北部がアンリ・クリストフの指導下の黒人支配地域となった〔Franklin W. Knight,''The Caribbean: The Genesis of a Fragmented Nationalism'', 2nd, New York: Oxford University Press, 1990, pp.204-208. ISBN 0-19-505441-5〕。クリストフは1811年アンリ1世としてハイチ国王に即位した。1820年アンリが自殺するとジャン・ピエール・ボワイエが王国の併合を要求し、10月26日に2万の軍勢によりカプ・アンリが陥落し〔Kreyol.Com 〕、ハイチは再統一された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北県」の詳細全文を読む
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