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ノースウエスト準州(、)は、カナダの準州のひとつ。北西準州とも表記される。西はユーコン準州、東はヌナブト準州、南はブリティッシュコロンビア州、アルバータ州、サスカチュワン州と接する。北はボーフォート海に面する。バンクス島やプリンスパトリック島の全域、およびヴィクトリア島やメルヴィル島の一部などの島嶼を含む。 == 歴史 == : ''主要記事:History of Northwest Territories'' マッケンジー川流域には、1万年前より先住民族であるデネ(Dene)族が居住していた。また約5000年前にはイヌイットはアジア大陸からベーリング海を渡ってこの地域へ移住してきた。 欧州人が初めてこの地を訪れたのは、1789年にアレグザンダー・マッケンジー(Alexander Mackenzie)が現在のマッケンジー川を探索した頃である。 1867年に連邦制のカナダ自治領が成立した際、ハドソン湾会社が所有するルパート・ランドと北西地域(旧北西会社領)はカナダへ組み入れられる前提となっていた。1868年英議会でルパート・ランド法が成立し、1869年12月1日付けで両領土は30万ポンド(2010年の価値で40億円程度)で購入された。しかしルパート・ランド南部のレッドリバー植民地では、元来多数を占めていたフランス系のメティらと流入しつつあるイギリス系移住者との間で緊張が高まっており、反フランス語主義者として有名だったウィリアム・マクダゴール()が測量調査を実施し副総督として着任することをきっかけとして、ルイ・リエル率いる臨時政府によるレッドリバーの反乱が起きた。この反乱は1870年マニトバ法によって収束し、1870年7月15日にノースウエスト準州およびマニトバ州が成立した。 当初ノースウエスト準州の暫定政府はマニトバ州の首府でもあった(現在のウィニペグ市)に置かれ、マニトバ州副総督が暫定政府の長を兼ねるなど一体的な施政が行われた。1875年によって正式な準州政府が発足すると、1876年に(サスカチュワン州ペリーの近郊)、ついで1877年に(サスカチュワン州)へと移転した。はノースウエスト準州の恒久的首府とする計画で政庁も建設されたが、カナダ太平洋鉄道の経由地がレジャイナに変更されたことから1883年に準州政府も移転した。人口流入によって1905年サスカチュワン州とアルバータ州が成立すると、レジャイナはサスカチュワン州の州都となり、一方準州には人口希薄な(イヌイットを除くと1,000名ほど)北部のみが残され、議会は解散、政府は連邦首都であるオタワに移転した。ようやく1921年に官僚らからなる評議会がオタワで再開されるが、準州在住の評議員は1947年まで存在しなかった。一方でには1911年に行政庁が開設され、1967年にイエローナイフが準州首府に選定されるまで実質的な準州首府として機能していた。もっとも首府機能の移転には長い時間がかかり、議事堂が落成したのは1993年になってのことである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ノースウエスト準州」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Northwest Territories 」があります。 スポンサード リンク
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