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北見礼子 : ウィキペディア日本語版
北見禮子[きたみ れいこ]

北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 2007年)は、日本の女優である〔''北見礼子''、''jlogos.com'', エア、2013年1月25日閲覧。〕〔''北見礼子''日本映画データベース、2013年1月25日閲覧。〕〔''北見礼子''、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月25日閲覧。〕〔''北見礼子'', ''北見禮子''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月25日閲覧。〕〔''北見礼子''日本映画製作者連盟、2013年1月25日閲覧。〕〔''北見礼子''KINENOTE、2013年1月25日閲覧。〕。新漢字表記北見 礼子、出生名・旧芸名稲村 美津子(いなむら みつこ)、結婚後本名林 美津(はやし みつ)〔。夫は林敏夫、長男は林与一である〔〔キネマ旬報社, p.467.〕。
== 人物・来歴 ==
1915年大正4年)2月13日千葉県東葛飾郡野田町(現在の同県野田市)に生まれる〔。
1932年(昭和7年)3月、野田町立野田高等女学校(現在の千葉県立野田高等学校)を卒業し、同年4月、東京・巣鴨の河合映画製作社に入社、同年6月10日に公開された吉村操監督の『大磯心中 天国に結ぶ恋』に出演して、映画界にデビューした〔。同年10月20日に公開された根岸東一郎監督の『下宿屋の娘』で、初めて主役に抜擢される〔〔。翌1933年(昭和8年)、同社は大都映画に改組されるが、継続入社した〔〔。
1936年(昭和11年)、京都の松竹下加茂撮影所に移籍する〔〔。1941年(昭和16年)、同社を退社、同い年の俳優の林敏夫と結婚、1942年(昭和17年)2月14日には、長男の与一が誕生した〔〔〔、2013年1月25日閲覧。〕〔本庄, p.161.〕。林敏夫は、1944年(昭和19年)に召集を受けて出征し、1945年(昭和20年)8月13日北満州(現在のロシア沿海地方あたり)で戦死した(満30歳没)〔〔。夫の死の2日後に第二次世界大戦は終結した。
1949年(昭和24年)、東横映画と契約して映画界に復帰、同年10月3日に公開された小杉勇監督の『花嫁と乱入者』に出演した〔〔〔。翌1950年にはフリーランスになり、長谷川一夫新演伎座製作、冬島泰三監督の『鬼あざみ』等に出演する〔〔。1957年(昭和32年)には、長男の与一が初舞台を踏んだ〔〔。1959年(昭和34年)5月19日に公開された深田金之助監督の『ふたり若獅子』を最後に引退した〔〔〔。
2007年(平成19年)、死去した。満92歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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