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北越学館(ほくえつがっかん)は、明治時代前期に新潟に存在した、新潟県最初のキリスト教主義の私立男子学校である。 1885年(明治18年)に開校された私立新潟英学校が母体になっている。1887年(明治20年)に阿部欽次郎が、新潟英学校を発展させて北越学館を設立した。自由党のクリスチャン政治家である加藤勝弥が支えた。 1888年(明治21年)にはアメリカ合衆国より帰国した内村鑑三が仮教頭に就任した。しかし、就任直後北越学館事件といわれる学校内紛争が起こり、内村は就任後わずか4ヶ月で辞職した。後任には、松村介石が赴任した。松村は、「知育」「徳育」「体育」を三本の柱に、生徒を質実剛健に教育した。 1891年(明治24年)の中学校令の一部改正に伴い、新潟県に県立中学が設立されると北越学館は生徒数が減少し、不振に陥った。1892年(明治25年)には規模を縮小し北越学院に改編した。1893年(明治26年)、生徒数減少のために閉校した。 == 主な教師 == *ドリマス・スカッダー *内村達三郎 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北越学館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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