|
北野 道彦(きたの みちひこ)(1903年(明治36年)3月15日〔「北野道彦とは」『辞書辞典解説@JLogos』(Googleキャッシュ)より。〕 - 1993年(平成5年)〔「北野道彦賞17年の歴史に幕」『松戸よみうり』(第671号)より。〕)は、東京生まれの文筆家で〔「著者紹介」『「町民鉄道」の60年』より。〕、流山市立博物館友の会の創設者である〔「北野賞14年」より。〕〔同会発足当初の呼称は「資料館友の会」--「北野道彦賞17年の歴史に幕」『松戸よみうり』(第671号)より。〕(→写真)。 青年期、壮年期は児童文学の著作活動を行っていたが〔「北野道彦とは」より。〕、1973年に東京都世田谷区から千葉県流山市へ転居後は〔「『北野賞』ことし限り」『東京新聞』2008年4月30日 00:00 更新(Googleキャッシュ)、より。〕、主に歴史や地理関係の著作活動を行っていた〔。1978年の流山市立博物館開館を機に同館友の会を設立し、東葛飾地域を中心とした文化活動を開始する〔。1991年に北野道彦賞を設立する〔〔「『北野賞』ことし限り」『東京新聞』(2008年4月30日 00:00 更新)には、「1992年に創設した」とある。〕。 == 北野道彦賞 == 正式名称は「公益信託北野道彦郷土研究奨励基金」〔。 1991年〔〔、北野が私財2,500万円を投じて〔『えみし会報』18号、より。〕、東葛飾地域で文化及び社会、自然保護活動を行う個人及び団体を表象し、その活動による貢献を世に広く知ってもらうことを目的として設立〔。北野が1993年に逝去すると流山市立博物館友の会が北野の遺産約2,000万円の寄付を受け、北野道彦賞を運営を継続する〔。 * 主な選考委員 - 山本鉱太郎〔 この賞は一般の研究者にとって励みとなっていたが〔、2008年を最後に北野道彦賞は幕を閉じる。受賞者への賞金30万円や授賞式の費用などの出費のために賞を運営する資金がなくなってしまったためである〔。長引くゼロ金利政策が大きく影響したという。最後の受賞者は流山市立博物館友の会と松戸史談会会長〔。選考委員会や受賞経験者たちは北野の業績を称え、『東葛の文化と北野道彦賞』(たけしま出版、非売品)を出版し東葛飾地域の図書館などに寄贈する〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「北野道彦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|