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十二使君の乱(じゅうにしくんのらん)は、呉朝の王である呉昌文の死去によって起こった965年から967年にかけての内乱、またはその時代のことである。呉朝に使えた将軍丁公著の遺児であり、独立勢力を築いていた丁部領(ディン・ボ・リン)によって国土は再統一された。 == 十二人の群雄 == *呉日慶(ゴー・ニャト・カイン)は唐林(ソンタイ市)を占拠 *矯公罕(キエウ・コン・ハン)は峯州(フート省)を占拠 *矯順(キエウ・トゥアン)は回湖(フート省カムケー)を占拠 *阮寛(グエン・コアン)は三帯(ヴィンフク省ヴィントゥオン)を占拠 *阮守捷(グエン・トゥー・ティエプ)は僊遊(バクニン省)を占拠 *阮超(グエン・シエウ)は西扶烈(ハノイ市タインチー)を占拠 *李奎(リー・クエ)は超類(バクニン省トゥアンタイン)を占拠 *呂唐(ルー・ドゥオン)は細江(フンイエン省ヴァンザン)を占拠 *范白虎(ファム・バック・ホー)は藤州(フンイエン省キムドン)を占拠 *杜景碩(ドー・カイン・タク)は杜洞江(ハタイ省クオクオアイ)を占拠 *陳覧(チャン・ラム)は布海口(タイビン市)占拠 *呉昌熾(ゴー・スオン・シー)は平橋(タインホア省チエウソン)を占拠 このような状況の中で、華閭(ニンビン省)において、後に丁朝を創建する丁部領が出現するのである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十二使君の乱」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Anarchy of the 12 Warlords 」があります。 スポンサード リンク
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