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十市 藤政(とおち ふじまさ、生没年不詳)は、安土桃山時代~江戸時代初期の武将。十市遠勝の婿養子。通称は次郎。筒井家の伊賀移封後は1000石を領したという。 == 略歴 == *布施氏出身で十市遠長が筒井氏との密接な関係を結んだことで十市遠勝の娘との婚姻を成立させたが、この事が家督騒動に発展し、家中は分裂して争った。しかし、仕えた主君は共に同じで筒井順慶である。 *1581年(天正9年)元旦、多聞院英俊より年頭祝儀の進物が送られる。 *1582年(天正10年)、嫡子(後の藤満)が誕生。 *1584年(天正12年)、主君筒井順慶が病死し、嫡子定次が家督を継ぐとこれに仕えるが伯父遠長は役を辞して筒井家を去る。 *文禄・慶長の役(1592年 - 1598年)において、主君定次が出陣し、藤政は留守居役を務めた。 *1608年(慶長13年)、筒井定次が改易されると藤政も職を辞して帰農したとされる。 *その後、家督を藤満へと継がれ、末裔は上田氏と称したという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十市藤政」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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