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十市遠長(とおち とおなが、生年不詳 - 1593年(文禄2年))は、室町時代末期~安土桃山時代の武将。十市遠忠の次子。大和国十市城主。官位は常陸介。 == 略歴 == *1569年(永禄12年)、兄の死後、家督を継いで筒井順慶と同盟を結び、織田信長に仕える。 *1574年(天正2年)2月、大和国九条城を攻略。次いで内膳城を攻めて城主藤田左近を討ち取っている。同年11月、森屋氏と筒井氏との三家同盟を成立させる。 *1575年(天正3年)1月、多聞院英俊より贈り物が届けられる。同年11月、織田氏と袂を分かち、松永久通に十市城を攻められる。次いで十市平城も落とされて所領を失う。後、筒井順慶に仕えた。 *1577年(天正5年)、織田信長に反旗を翻した松永久秀の子久通が織田軍との戦いで討死し、嫁いでいた姪のおなへが実家に戻ってくると突如嫡流を主張し、筒井氏の縁戚布施氏より得た婿養子藤政をもって十市氏の家督を継承すると断言。これに反発した遠長側との家督争いに発展した。 *1581年(天正9年)、伊賀国にて戦いがあり、筒井家重臣島清興と共に出陣し、島軍に損害が出たという。 *1584年(天正12年)、筒井順慶が病死し、子定次が家督を継ぐと役を辞して故郷の十市郷に戻る。 *1585年(天正13年)、定次が移封となり、代わって豊臣秀吉の弟秀長が大和国を治めるとその家臣となる。 *1591年(天正19年)、秀長が病死すると再び浪人となり、2年後、伊予国で病死した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十市遠長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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