翻訳と辞書
Words near each other
・ 十文字実香
・ 十文字将康
・ 十文字峠
・ 十文字幻斎
・ 十文字昭憲
・ 十文字本線料金所
・ 十文字村
・ 十文字町
・ 十文字美信
・ 十文字良子
十文字貴信
・ 十文字青
・ 十文字駅
・ 十文字高等学校
・ 十方山
・ 十方山林道
・ 十方暮
・ 十方界
・ 十方闇
・ 十日


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

十文字貴信 : ウィキペディア日本語版
十文字貴信[じゅうもんじ たかのぶ]

十文字 貴信じゅうもんじ たかのぶ 1975年11月10日 - )は、日本競輪学校第75期〔競輪打鐘読本、49頁。〕 卒業の日本の競輪選手自転車競技選手。現在の千葉県野田市出身。日本競輪選手会茨城県支部所属〔。師匠は川村恵三〔。初出走は1995年4月8日宇都宮競輪場〔。初勝利は同年4月24日の小倉競輪場〔。
== 来歴 ==
小学生時代にレスリングを始め、小・中学校時代に3回全国大会で優勝した。しかし「レスリングは金にならない」という親戚から助言を受け、茨城県立取手第一高等学校入学後は自転車競技に転向した〔競輪打鐘読本、51頁。〕。取手第一高等学校自転車部では部員の9割が競輪選手を目指すといわれ、十文字自身も「"就職試験"に向けての練習」だと思い自転車競技に取り組んだ〔競輪打鐘読本、52頁。〕。3年時に高校総体で優勝〔競輪打鐘読本、53頁。〕 するなどの実績を上げ、日本競輪学校には技能試験免除で入学した。高校時代は30kmの道のりを自転車で通学していた〔。日本競輪学校での成績は75人中66番目であったが、先行にこだわっての結果であり、「デビューしちゃえば、すぐに追いつける自信はあった」と十文字は振り返っている〔。
選手としてデビュー後、8か月でS級に特進を果たした〔 十文字に転機が訪れたのは、1996年に行なわれた全日本プロ選手権自転車競技大会(1000mのタイムトライアル)であった。自転車競技にプロ選手の参加が認められることになったアトランタオリンピックに向け、夏季オリンピックの代表選考会を兼ねたこの大会において、「自転車のセッティングがピッタリ合った」という〔競輪打鐘読本、55頁。〕 十文字は、当時の大会記録を1秒以上更新するタイムで走破し、有力視されていた神山雄一郎吉岡稔真を抑えてオリンピック出場権を獲得した〔競輪打鐘読本、54-55頁。〕。十文字自身は当時、自転車競技で世界に通用する力を得られるのは数年先と認識しており〔競輪打鐘読本、54頁。〕、「行くしかないのか」「タイム的には5位か6位にはなれるだろう」、「とりあえず自己ベストを出して帰ってきたいな」という程度の気持ちでオリンピックに臨んだ〔 が、結果はプロの競輪選手として初の銅メダル獲得というものであった(なお坂本勉がアマチュア時代にロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得している)。
銅メダル獲得により、当時としては中野浩一に匹敵するほど競輪の知名度上昇への貢献を果たしたことから、これ以降、日本自転車振興会および日本競輪選手会はプロ競輪選手を国際大会へ派遣させることに積極的になった。また十文字は、日本自転車振興会など各種関係団体から国内の競輪に出場した場合以上の賞金に値する5千万円の報奨金を贈呈された事でも話題となった。さらには国内ではノンタイトルであるものの同年のKEIRINグランプリにも出場している(但し接触事故で落車棄権)。ただし十文字自身は銅メダル獲得後に受けたインタビューにおいて、「競輪と1000mのタイムトライアルは、全く違うもの」、「本職の競輪を辞めてまで、タイムトライアルに打ち込むわけにはいかない」、「仕事を辞めたら、収入がなくなっちゃうじゃないですか」と、自転車競技に対し冷静なスタンスを見せている〔競輪打鐘読本、56頁。〕。
帰国後も特別競輪などに出場し、共にオリンピックへ出場した神山雄一郎との連携は「アトランタライン」〔競輪打鐘読本、58頁。〕 と名付けられ話題となった。しかし持病の腰痛が悪化し、2001年頃にはヘルニアによる神経圧迫で自転車に乗れない状態にまで追い込まれ、1年間も競走から離れてしまうことになり、この症状は現在も尾を引いてしまっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「十文字貴信」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.