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十河一存[そごういちぞん]
十河 一存(そごう かずまさ /かずなが)は、戦国時代の武将。三好氏の家臣。三好元長の四男。 == 生涯 == 天文元年(1532年)、三好元長の四男として阿波勝瑞城で生まれる。兄に三好長慶、三好実休、安宅冬康、弟に野口冬長がいる。 讃岐十河城主の十河景滋(存春)の世子の金光が早世したこともあり、長兄の長慶の命により景滋の養子となって十河氏の家督を継いだ〔『三好長慶』〈人物叢書〉196頁。〕。 天文18年(1549年)6月には父の仇である三好政長との摂津江口の戦いで勝利に貢献した。これにより細川晴元の政権は崩壊し、兄・長慶の政権が確立する。天文19年(1550年)の東山の戦いで京都復帰を狙う晴元を阻止、天文22年(1553年)6月の阿波見性寺事件の際も次兄の実休を助けて細川持隆殺害に協力した〔。永禄元年(1558年)の北白川の戦いに参戦、永禄3年(1560年)には畠山高政との戦いで大勝し、長慶から岸和田城主に任じられた。その後も畿内各地を転戦して功を挙げ、兄を軍事的によく補佐した。 しかし、永禄4年(1561年)3月18日(異説として4月)〔没日は墓所等によると4月23日とされている。『伊勢貞助記』では5月1日には死去のため出仕なし」とあるため、それ以前には死去していたようである。『三好長慶』〈人物叢書〉198頁。〕、病を患い、子・松浦萬満の後見のために在住していた和泉国で死去した。享年30。実子・義継は長慶に引き取られて後にその家督を継いだため、甥(実休の次男)の存保が養子となって十河氏の家督を継いだ。同じく実子の十河存之は庶子のため跡を継がず、存保の家老となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「十河一存」の詳細全文を読む
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