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千代の富士 : ウィキペディア日本語版
千代の富士貢[ちよのふじ みつぐ]

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - )は、北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。第58代横綱。本名は秋元 貢(あきもと みつぐ)。血液型はA型
== 人物 ==

=== 誕生〜入門前 ===
1955年に北海道松前郡福島町で漁師を営む家に生まれた。子供の頃から漁業を手伝って自然に足腰が鍛えられ、中学生では運動神経が抜群だった。特に陸上競技では走り高跳び・三段跳びの地方大会で優勝し、「オリンピック選手もいける」と言われるほどだったが、相撲は大嫌いだった。1年生のときに盲腸炎の手術を受けたが、秋元少年の腹の筋肉が厚いために手こずって予定を大幅に上回る長時間の手術になってしまい、終了直前に麻酔が切れてしまった。それでも必死に耐え続ける体格の良い秋元少年を見た病院長が見出し、千代の山の入門の世話をしたことがある若狭龍太郎に連絡した。その連絡を受けた九重(千代の山)から直々に勧誘されたが、自身はあまり気が乗らず、両親も入門に大反対したため一旦は断わっていた。
それでも諦めない九重は秋元少年に対して「とりあえず東京に行こう。入門するなら飛行機〔当時、全日本空輸が所有していたフォッカーフレンドシップだったとされ、当時は福島町の町長でさえも搭乗したことがない乗り物だった。〕に乗っけてあげるよ」「中学の間だけでも(相撲を)やってみて、後のことを考えたらどうだ?」などと持ちかけると、結局、その飛行機にどうしても乗りたいがために、家族の反対を押し切って九重部屋に入門を決めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千代の富士貢」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Chiyonofuji Mitsugu 」があります。



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