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千代の若 : ウィキペディア日本語版
千代の若秀則[ちよのわか ひでのり]

千代の若 秀則(ちよのわか ひでのり、1972年3月8日 - )は、兵庫県養父郡養父町出身で九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は根岸 秀則(ねぎし ひでのり)。身長195cm、体重167kg。最高位は東十両9枚目(1996年11月場所)。
== 略歴 ==
実家は青果店を営んでいた。現役時代の横綱千代の富士にスカウトされ1987年5月場所、初土俵を踏む。
三段目までは比較的順調に昇進したが、三段目・幕下で伸び悩み三段目、幕下でそれぞれ二年を過ごした。1992年9月場所以降はほぼ幕下に定着し、1996年3月場所西幕下9枚目で幕下優勝し、5月場所で新十両に昇進した。
昇進は早いとは言えなかったが、十両昇進時には千代大海らとともに叩き上げの関取として期待され、猛稽古で鍛えられた。〔この時期九重部屋は幕内力士不在の状況となっており、次世代の育成が急がれていた。〕稽古中少しでも休むと「休むんじゃないよ!」と親方から叱咤されていたという。当時の相撲部屋を扱ったドキュメンタリーでは、塩に自分の名前を書き翌朝一番に稽古をする権利を獲得した様子が放映された。しかし十両では思うように勝ち越すことができず、新十両の場所は5勝10敗と負け越して幕下に陥落した。この時は一場所で十両復帰を果たし、9月場所では9番の勝ち星を上げたがその後は負け越しが続き、1997年3月場所幕下に陥落するとそのまま復活することなく同年9月場所を最後に廃業した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「千代の若秀則」の詳細全文を読む



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