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千代田の刃傷(ちよだのにんじょう)は、文政6年(1823年)、松平 外記 忠寛によって引き起こされた刃傷事件である。 文政6年(1823年)4月22日、西の丸の御書院番の新参・松平外記忠寛は、古参の本多伊織、戸田彦之進および沼間左京の度重なる侮罵と専横とに、ついに鬱憤これを抑えることができず、この3人を殿中において斬り殺し、なお、間部源十郎および神尾五郎三郎の2人には傷を負わせ、自らは潔く自刃し果てたものである。 時の老中・水野忠成が厳重詮議をおこなった。 殺害された3人の所領は没収され、神尾は改易を申し渡され、間部は隠居を仰せつけられた。 なお松平家は忠寛の子栄太郎が相続を許された。 この事件は須藤南翠が小説化し、また歌舞伎狂言にもなった。 == 外部リンク == * 近代デジタルライブラリー 浮世の有様. 1(巻1−2) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千代田の刃傷」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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