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千住宿[せんじゅしゅく]
千住宿(せんじゅしゅく、せんじゅじゅく)とは、武蔵国足立郡・豊島郡の荒川(隅田川)曲流部に設置された宿場町。東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。日光街道および奥州街道の初宿で、水戸街道はここから分岐していた。 == 背景 == 新井兵部政勝が開基となり、勝専社専阿上人を開山として文応元年(1260年)草創された勝專寺〔『新編武蔵風土記稿』より〕の寺伝によれば、1327年(嘉暦2年)に新井図書政次が荒川で網で千手観音像を拾い、この地を千手と呼んだことに由来するという。この像は息子でありこの寺の開基でもある新井兵部政勝によって同寺に移安されたとしている。
他には、足利義政の愛妾千寿の出生地であったからという説や、千葉氏が住んでいたからだという説が知られている。 荒川北岸部にあった足立郡千住村は古くから水上交通の要所とされ、戦国時代には享徳の乱で下総国を追われて武蔵石浜城の拠点を移していた元の千葉氏嫡流(武蔵千葉氏)が支配していた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千住宿」の詳細全文を読む
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