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千 容子(せん まさこ、1951年(昭和26年)10月23日〔1951年(昭和26年)10月23日宮内庁告示第11号「内親王御誕生の件」〕 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第二女子。旧名は容子内親王〔1951年(昭和26年)10月29日宮内庁告示第12号「崇仁親王殿下の第二女子命名」〕。千宗室(茶道裏千家第16代家元)夫人。お印は楓(かえで)。勲等は勲一等〔1971年(昭和46年)11月2日『官報』第13461号「叙位・叙勲」〕。学位は法学士(学習院大学)。 == 略歴 == 松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。その間に、奔放な生活ぶりを母・百合子妃が心配し、連れ戻しにいったこともあるという〔「AERA」2008年10月6日号 次を担う「女性皇族」たち〕。 帰国後は、学習院大学法学部に復学。卒業後は、兄・寬仁親王が主宰する「柏朋会」などで、フランス語の講師を行なったりと、皇族内でも語学堪能のため皇室内の外国交際の際は重宝されたという。 1983年(昭和58年)10月14日、裏千家15代家元・鵬雲斎千宗室(現・千玄室大宗匠)の長男・坐忘斎千宗之(後に16代家元・千宗室)と結婚〔1983年(昭和58年)10月14日宮内庁告示第8号「容子内親王殿下が、結婚のため、皇族の身分を離れられる件」〕。 翌1984年(昭和59年)に長男・明史(現在はchoriのPNで詩人として活動〔2006年2月12日 京都新聞「五感のチカラ(12) 」〕)、1987年(昭和62年)に長女・万紀子、1990年(平成2年)に次男をもうける。 2002年(平成14年)、夫の家元襲名に伴い第16代目家元夫人となる。茶道裏千家淡交会副理事長・国際茶道文化協会会長〔役員紹介 - 国際茶道文化協会〕等、裏千家および茶道関連の法人の要職に就いている。 長女・万紀子は、立命館大学4年在学中の2009年(平成21年)、葵祭・第54代斎王代に選ばれ、容子と母娘そろって姿を見せた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千容子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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