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千本久信[せんもと ひさのぶ] 千本 久信(せんもと ひさのぶ〔『新編日本の歴代知事』824頁。〕、1827年7月13日(文政10年6月20日) - 1885年(明治18年)10月15日〔『越前人物志 上』690-692頁。〕)は、幕末の福井藩士、明治期の官僚・実業家。広島県権参事(未赴任)。初名・弥三郎。 ==経歴== 越前国足羽郡福井下江戸町(現:福井県福井市)で、福井藩士・千本久備の長男として生まれる〔。天保2年4月5日(1831年5月16日)実父・久備の危篤に伴い、千本家は養父として小林久達(藤左衛門、東岫)を迎える〔〔『福井藩士履歴 3け~そ 福井県文書館資料叢書11』251-252頁。〕。嘉永6年7月20日(1853年8月24日)江戸での砲術調練修行を命ぜられ、その後、兵科懸り、兵科局詰、兵科取調方などを務める〔「千本弥三郎」252-255頁。〕。文久2年3月29日(1862年4月27日)書院番格として江戸詰となり、以後、松平春嶽の側近として活躍〔〔。公用人、目付、評定役、司計頭取、参政などを歴任〔。 明治2年10月14日(1869年11月17日)福井藩権大参事に就任〔〔。明治4年11月15日(1871年12月26日)広島県権参事に発令されたが、赴任途中の同年11月25日(1872年1月5日)福井県(第一次)権参事となり、広島に着任することなく福井に戻った〔。同年12月20日(1872年1月29日) 福井県が足羽県と改称し、1873年1月14日、足羽県が廃止され権参事を免ぜられた〔。 その後、第九十二国立銀行支配人〔『大日本国立銀行一覧表』〕、桑蚕会社社長などを務め、旧福井藩士の授産について尽力した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千本久信」の詳細全文を読む
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