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千本 倖生(せんもと さちお、1942年9月9日〔(イー・アクセス株式会社、2012年10月2日閲覧)〕 - )は、日本の実業家(フロリダ大学Ph.D.)。イー・アクセス株式会社(後のワイモバイル株式会社)の創業者で、2014年3月まで同社取締役名誉会長を務めた。2014年3月に同社取締役名誉会長職を退任。同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。 == 人物 == 日本における通信事業開拓者の一人として知られる人物である。京都大学卒業後、日本電信電話公社(現在のNTT)に入社。フルブライト奨学生としてフロリダ大学へ留学し、電子工学の修士・博士(Ph.D.)の学位を取得。 NTT近畿電気通信局部長(当時42歳)時代に自社・NTTの通信独占状態に異議を唱えNTTを退社。大阪のコーヒーバーで電電公社に対抗する新しい通信事業会社の構想を京セラ社長(当時)の稲盛和夫に説き、1984年に稲盛と共同で第二電電株式会社(DDI、現在のKDDI)を創業し専務に就任した〔。DDIでは通信自由化により専用線事業、市外電話事業を興し、続いて携帯電話事業(DDIセルラー、現在のau)、PHS事業(DDIポケット、ウィルコム→イー・アクセスへの吸収を経てワイモバイルへ。現在はソフトバンクに吸収)を立ち上げ軌道に乗せ、1994年にDDI副社長 兼 DDI東京ポケット電話社長に昇格した。しかしDDIが成長するに従い、周囲に「壁のようなもの」ができたように感じるようになり同社を自主退社した(解任されたとの報道もある)。 1992年にカーネギーメロン大学客員教授、1996年に慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授に就任〔イー・モバイル会長・千本倖生氏―世界に通ずるアントレプレナーシップとは (グロービス2009年1月20日付記事、2012年10月2日閲覧)〕。1997年にスタンフォード大学客員フェロー、2001年にカリフォルニア大学バークレー校客員教授、2006年にカンタベリー大学招聘教授を歴任。 1990年代後半にインターネット急速に普及し始めたことからADSLの回線卸を業とするイー・アクセスを創業(1999年)。この頃からソフトバンクの孫正義をライバルとして意識するようになる〔イー・モバイル会長・千本倖生氏―世界に通ずるアントレプレナーシップとは (グロービス2009年1月20日付記事、2012年10月2日閲覧)〕。2004年には当時の最速記録となる創業5年での東証1部上場を達成〔千本倖生氏インタビュー「ADSLはまだこれから伸びる 携帯電話新規参入に決意」 (月刊テレコミュニケーション2005年1月号、2012年10月2日閲覧)〕。2005年には、新規参入の携帯電話会社イー・モバイルを創業(2011年には親会社のイー・アクセスに吸収)、データ通信を中心とした契約プランで契約数を伸ばした。 2012年10月、株式交換によりイー・アクセスはソフトバンクの完全子会社となることを発表〔(イー・アクセス株式会社2012年10月1日付プレスリリース、同年10月2日閲覧)〕。日本経済新聞のインタビューの中で、KDDIからも同様の提案があったことを明らかにした上で、長年のライバルである孫正義のiPhoneに懸ける情熱に圧倒され、従業員や株主へのフォローが約束されたことから、交渉開始から約10日でソフトバンクへの売却を決断した、と述べた。 2014年3月にイー・アクセス株式会社取締役名誉会長職を退任。 同年4月に株式会社レノバ社外取締役に就任し、2015年8月より代表取締役会長に就任。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千本倖生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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