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千秋 季忠(せんしゅう すえただ)は、戦国時代の宮司、武将。尾張国羽豆崎城(幡豆崎城)主。通称四郎。 == 生涯 == 父千秋季光は熱田神宮の大宮司で、武士として織田信秀に仕えていたが、加納口の戦いで戦死〔太田牛一 『信長公記』 首巻 「景清あざ丸刀の事」〕。季忠も大宮司職を継ぎ、信秀の子、信長に仕えた。 永禄3年5月19日、桶狭間の戦いに参加。佐々政次と共に鷲津砦・丸根砦を落とした今川義元軍と対峙していたが、信長が善照寺砦に到着したのを見て義元本隊に攻撃を仕掛け、政次ともども討ち死にを遂げた〔『信長公記』 首巻 「今川義元討死の事」〕。 その時母の胎内にあった子の季信が、後に大宮司職と織田信長より遺領となる野並村を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千秋季忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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