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千葉胤平[ちば たねひら]
千葉 胤平(ちば たねひら)は、南北朝時代の武将。千葉胤貞の嫡子(次男)。 == 生涯 == 曽祖父頼胤の没後、曽祖父に代わって祖父宗胤が異国警固番役として肥前国に赴き下総国を離れた間に大叔父胤宗に千葉氏の家督を横領されてしまった。 そのため父の胤貞は、大叔父の子貞胤と千葉氏の家督を賭けて争うが、そのような中の建武元年12月1日(1334年12月27日)、父より肥前国小城郡と千田荘および八幡荘の総領職を継ぐ〔『中山法華経寺文書』 建武元年12月1日付 「千葉胤貞譲状」 より。 『雲海山岩蔵寺浄土院無縁如法経過去帳』の「当郡代々地頭」には胤貞と胤平との間に高胤の名が見られ、彼が胤平の兄(胤貞の長男)とみられる。この高胤が小城郡を領していたことは『中山法華経寺文書』 某年8月13日付の「平高胤寄進状」にもうかがえ、実際は当初嫡子であった高胤が父の領地を継いだものの早世したため、一旦父である胤貞が再度家督および領地を継承し、その後に胤平へと継承された可能性が高い。〕。だがその後胤平についての記録が残っておらず、大叔父の子貞胤との争いには父の胤貞が前面に出ていることから、総領職を継いでまもなく没したものと推測されている。 所領はさらに弟の胤継(たねつぐ)に譲られるが、その後小城郡については父の養子であった叔父の胤泰が継承した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千葉胤平」の詳細全文を読む
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