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千葉定吉[ちば さだきち]
千葉 定吉(ちば さだきち、文化9年(1812年)? - 明治12年(1879年)12月5日)は、江戸時代末期(幕末)の鳥取藩藩士、北辰一刀流の剣術家。桶町千葉道場の創設者。 == 人物・来歴 == 陸奥国出身。剣豪であった千葉忠左衛門成胤(浦山寿貞〔松戸市HP 〕)の三男で千葉周作の弟。長男に千葉重太郎、娘に二女の千葉さな子などがいる。 幼少時から兄の周作と共に父から剣術の教えを受けた。青年期は兄と行動を共にし、玄武館の創設と運営にも協力した。そして、兄の玄武館の運営が軌道に乗ったのを見計らって、自身も桶町に玄武館の分室道場を構えた。定吉の道場は周作の道場と区別するため「桶町千葉」または「小千葉」と称されたが玄武館と千葉道場は一体のものであった。当時は身分制度が厳しく上級武士と下級武士は一緒に稽古することが出来なかった、千葉道場に館名が無いのは上士と下士を分けたためである。また他流試合の調査も定吉が担当した。 定吉の剣の腕は高く評価され、嘉永6年(1853年)には鳥取藩の江戸詰の藩士として召し抱えられ、撃剣取立役(剣術師範)に任じられた〔足立区立教育委員会『足立史談』506号〕〔家臣人名事典編纂委員会『三百藩家臣人名事典』5〕。 老いてもその腕は劣ることが無く、明治12年(1879年)12月5日に死去。現在は雑司ヶ谷霊園に墓所が存在する。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「千葉定吉」の詳細全文を読む
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