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半田美永 : ウィキペディア日本語版
半田美永[はんだ よしなが]
半田 美永(はんだ よしなが、1947年8月23日 - )は、日本国文学者近代文学が専門。現在、皇學館大学文学部特別教授博士(文学)。学生部長、文学部長、皇學館大学評議員、理事等を歴任。国際熊野学会常任委員、子規研究の会代表理事(会長)、解釈学会常任委員、三重文学研究会代表、皇學館大学日中比較文学検討会代表。初め、鷗外を研究対象とし、その後講談社版『子規全集』の編纂に関与、愛媛大学和田茂樹研究室に通った。後、郷里和歌山に帰り、高校教諭のとき岸田国士門下の劇作家阪中正夫を発掘。俳優の金田龍之介らと親交を結んだ。以後、産経新聞等に紀伊半島に関わる文人を連載、早くから近代文学の地方における実相を探求した。地方と中央の相関関係に着目、現在もなお、熊野・吉野・伊勢・和歌山を核とした文学研究に意欲的に取り組んでいる。多くの著書、編著があり、歌集も出版するなど、その活動領域、交友関係は広い。青年期に、柳田泉の学風に多く学び、学生時代は源氏研究の重松信弘、古代文学研究の西宮一民らの信を受け、後に谷澤永一、歌人の前登志夫に親炙した。教え子には『丹羽文雄書誌』の岡本和宜、『加藤楸邨研究』(博士論文)の神田ひろみ、また留学生として、『佐藤春夫と中国古典』で博士(文学)の学位を取得した張文宏(中国河南師範大学教授)等がいる。

== 人物 ==

和歌山県出身。1971年皇學館大學文学部国文学科卒業後、1978年皇學館大學大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学講談社で『子規全集』の編纂に従事。智辯学園中学校・高等学校教諭を経て、1984年4月、皇學館大學に赴任。専任講師助教授を経て、1994年4月より教授、2013年3月定年退職。現在、同大学特別教授。河南大学客員教授、河南師範大学客員教授。
 初め日本近代文学を専攻、また短歌の実作者として、尾上柴舟創刊の歌誌『水甕』に所属。大学院終了後、編集者として講談社に勤務。後に奈良、和歌山の高校教師として進学指導に従事、夕陽が予備校の白山桂三から受けた進路指導が役立ったという。多くの教え子を名門大学に送り込んだ。その頃『和歌山県史』の編集・執筆に関与したのを契機として、紀伊半島にかかわる文学分野に着目し、以来資料発掘を行い、その意義について論述、基礎的研究を継続してきた。その後、大学教員として教育と研究に専念、近現代文学を専攻しながら、地方固有の風土文化論的な視点から考察、古代から現代までの文学を時系列的に読み直す作業を進めている。近年、日本の伝統文化が近代の欧羅巴文化を受容する様子、また中国古典思想と日本文化を比較しながら、その融和しつつ成長する精神文化を、主に文学を通じて考証することを研究テーマにしている。伊勢・熊野・吉野・高野山を含む紀伊半島が、長くその研究領域と関わり、民俗学・宗教学等を取り込みながら、その対象を深化させている。博士後期課程の指導教員として、学者の育成にも努力している。専攻は日本文学(近代文学)・日中比較文化論。
2003年、「佐藤春夫研究」によって皇學館大学から博士(文学)の学位を取得。(主査は角田敏郎、副査は大杉光生惠良宏

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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