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南アルプススーパー林道 : ウィキペディア日本語版 | 南アルプススーパー林道[みなみあるぷすすーぱーりんどう]
南アルプススーパー林道(みなみアルプススーパーりんどう)は、山梨県芦安村(現南アルプス市)安通から赤石山脈を横断する形で長野県長谷村(現伊那市)黒河内にかけて建設されたスーパー林道。名称は赤石山脈の別称である南アルプスから取られたもの。開通後の林道は、山梨県側が山梨県営南アルプス林道〔山梨県県営林道通行規制情報・県営林道南アルプス線(山梨県ホームページ) 〕、長野県側が伊那市営林道南アルプス線〔山梨県県営林道通行規制情報・伊那市営林道南アルプス線(山梨県ホームページ) 〕として管理されている。 ==概要== 1952年、住宅資材として木材需要が逼迫する中、早川上流の野呂川流域の森林開発(森林の伐採)を目的に野呂川林道の建設が始まる。野呂川林道は、1962年に開通。森林資源の開発はもとより、山間奥地の交通の便は格段に向上した。中でも、林道が日本第二の高峰である北岳への登山ルートとして登山者に重宝されたことがきっかけで、地元振興(観光)を目的に加えたスーパー林道構想が浮上。1966年から森林開発公団の手により、既存の林道を組み込みながら両県を結ぶ南アルプススーパー林道としての建設が始まった。しかし前々年の1964年には南アルプスが国立公園に指定されていたこと、その急峻な地形をゆく山岳道路は自然破壊の象徴として目されるようになり、様々な団体による建設反対運動が勃興。社会的なうねりとなり1973年には、環境庁長官が工事凍結を表明するに至ったが、1978年に道路幅員の縮小、一部路線の変更、土砂崩壊の防止等の留意事項を条件として一転して建設が再開〔環境白書(環境省ホームページ) 〕。1979年11月12日には山梨県側で完成式典が開かれ全通した〔山梨の歴史(昭和45年(1970)~55年(1980))(山梨県ホームページ) 〕(実質的に供用開始した1980年を開通年とすることもある)。林道は開通後、管理者となる山梨県と長谷村に移管され改名、南アルプススーパー林道の呼称は消滅した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南アルプススーパー林道」の詳細全文を読む
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