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南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車 : ウィキペディア日本語版 | 南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車 南サルデーニャ鉄道ADe300形気動車(みなみサルデーニャてつどうADe300がたきどうしゃ)はイタリアのサルデーニャ島南部の私鉄であった南サルデーニャ鉄道(Ferrovie Meridionali Sarde(FMS))で使用され、同線廃止後、現在ではサルデーニャ鉄道(ARST Gestione FdS〔ARST:Azienda Regionale Sarda Trasporti S.p.A.、FdS:Ferrovie della Sardegna〕)が保有している電気式気動車である。また、本項ではADe300形と編成を組む制御気動車であるRpe350形についても記述する。 == 概要 == イタリア西部地中海に位置する、イタリアで2番目に大きな島であるサルデーニャ島では、主要な幹線を運営する1435mm軌間のイタリア国鉄路線のほか、いくつかの私鉄路線が敷設されており、多くの路線はイタリアでの狭軌の標準である950mm軌間のものであった。その私鉄の一つである南サルデーニャ鉄道はサルデーニャ島南西部と、同島南西端部で陸繋砂州でつながるサンタンティーオコ島に79.3kmと33.1kmの2本の950mm軌間の路線を運行しており、沿線の旅客および農水産物等の輸送のほか、カルボーニアやイグレージアス付近に点在する炭鉱から産出する石炭の輸送も主要な用途であった。 同鉄道では1926年の開業以降、蒸気機関車が客車と貨車を牽引する列車で運行されていたが、1936年には当時イタリア各地で導入されていてたリットリナ〔Littorina〕と呼ばれる軽量気動車の一機種であるALn200形4機を導入して客貨分離と閑散区間の旅客列車の効率化を図っていた。その後石炭の増産とそれに伴う旅客輸送量の増大に伴い一部区間を複線化した上で、1939-40、53年にはイタリア国鉄からR370蒸気機関車計22機を譲受して貨物輸送に充てていたが、1950年代以降、沿線の炭鉱が順次閉鎖され、輸送量が大幅に減少していた。そこで、同鉄道では1960年には気動車6機とその制御車4両を導入して、残っていた蒸気機関車牽引の旅客列車の代替を図るなど輸送の効率化を図ることとなり、導入された機体が本項で記述するADe300形の301-306号機およびその制御気動車であるRPe350形の351-354号車である。前者は同じサルデーニャ島の私鉄であるサルデーニャ鉄道 (FCS)〔Ferrovie Complementari della Sardegna、1989年にサルデーニャ鉄道 (SFS)と統合してサルデーニャ鉄道 (FdS)(Ferrovie della Sardegna)となり、現在はサルデーニャ地域交通(Azienda Regionale Sarda Trasporti(ARST))の一部となっている〕が1958-60年にADe1形として20機を導入したものと同型の機体、後者も同じくRPe100形制御気動車と同型のものとなっている。 RDe300形およびRPe350形はリットリナの流れを引くイタリア製の軽量気動車の一機種で、RDe300形は全長16m級で2機関搭載の電気式1等/2等合造気動車、Rpe350形はRDe300形と同型でこれと編成を組む1等/2等/荷物合造制御気動車であり、主機等をフィアット〔FIAT Sezione Materiale Ferroviario, Torino, 1988年にFiat Ferroviariaとなる〕、電気機器をBBC〔Brown, Boveri & Cie, Baden〕のイタリア子会社であるTIBB〔Tecnomasio Italiano Brown Boveri S.p.A., MIlano〕が、車体その他をStanga〔Officina Meccanica della Stanga S.p.A., Padova〕が担当して製造されている。
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