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南出 喜久治(みなみで きくぢ、1950年1月3日 - )は、日本の弁護士(登録番号18832)。京都弁護士会所属。「國體護持塾」塾長〔國體護持塾について 國體護持塾〕。 == 来歴・人物 == ; 生い立ち : 京都市生まれ〔。生家は公衆浴場業(風呂屋)〔南出喜久治先生の生い立ち 國體護持塾ブログ〕。父親は支那に渡り、支那事変以降は特務機関の将校として北支那で勤務した〔。復員後は、逓信局(郵便局)に勤務していたが、軍歴のため公職追放の対象となり失職〔。その後は、家業の風呂屋を営んだ〔。 ; 学生時代 : 小学校3年のときに母親が脳溢血で寝たきりとなったため、南出が家事を受け持ち、家業の手伝いもするようになった〔。中学進学後に父親が肝硬変で倒れ〔、南出は家業や家事のため、中学・高校時代は慢性的寝不足の状態で登校していた〔。京都市立堀川高等学校卒業。 ; 弁護士として : 民社党代議士岡澤完治から薫陶を受け、岡澤から「君なら司法試験、通るよ」と言われた〔。独学で、司法一次試験から受け〔、1981年に31歳で合格。司法修習36期を経て、1984年京都弁護士会に登録。 : 独自の研究により新たな「占領憲法無効論」なる主張を完成させ、1992年5月に、今上天皇に「占領憲法無効宣言」を諌疏する天皇請願を行なったという〔。主著「國體護持(初版)」、のちに「國體護持総論」〔南出喜久治著書「國體護持総論」 〕を完成させ、平成20年8月にインターネット上にて公開〔。 : 戸塚ヨットスクールの支持者でもあり、2005年に静岡刑務所で服役中の戸塚宏が東京地裁にて静岡刑務所を提訴した時には、戸塚の訴訟代理人を務めた。ただしかつて在日朝鮮人である会津小鉄会会長の高山登久太郎の弁護を担当したこともある。他には原子力発電に関しても以前から否定的立場であり東日本大震災以後はたびたび脱原発を公言している。また核武装にも否定的な立場である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南出喜久治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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