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南呂院(なんりょいん、生没年不詳)は常陸国の戦国大名、佐竹義昭の次女。下野国の宇都宮広綱に嫁いだ。宇都宮国綱・結城朝勝の母。 天正4年(1576年)、病により32歳で死去した広綱の跡を継いだ国綱が幼かったため、家臣の壬生義雄や皆川広勝の内乱が活発化した。 さらに北条氏政の侵攻が激化し、実家の兄である佐竹義重の後見を受けながら、国綱が成人するまで南呂院が家政を取り仕切った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南呂院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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