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南営号沈没事故()は、1970年12月15日に大韓民国近海で発生した海難事故である。 1967年に建造された定期旅客船南営(ナミョン、ナムヨン)号は、14日午後4時頃済州島南岸の西帰浦港を出港し、同島東端の城山浦港に寄港して釜山市の釜山港に向かった。このとき、年末年始を控え定員302人を越える338人の乗客が乗船したうえ、収穫期を迎えたみかんなどの貨物を160トンを積載しており、最大積載量の約4倍を超える過積載状態となっていたという。 12月15日午前1時過ぎ、南営号は対馬の西100km付近の海上を航行中に転覆、沈没した。現場付近の海域で操業していた日本の漁船が乗客6人を救助したものの、死者326人を出す大惨事となった。損害額は船体・貨物あわせて1億700万ウォンに達した。 南営号は沈没直前に遭難信号(SOS)を発信していたが、海洋警察庁はこれを受信できなかった。 事故は15日付「済州日報」1面トップで大きく報じられた。済州島をはじめ全国で犠牲者弔慰金募金と遺族支援が呼びかけられた。同年12月20日に合同慰霊祭が営まれ、翌1971年3月30日には西帰浦港に犠牲者慰霊塔が建立された。なお、交通部長官白善燁は事故の責任を負って辞任している。 この事故を契機として、1973年12月、同国に旅客船運航管理制度が導入された。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南営号沈没事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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