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南国土佐を後にして(なんごくとさをあとにして)は武政英策が作詞・作曲した歌謡曲及び、それを元にした映画。 == 概要 == もともとは、大陸に出兵した地元の陸軍朝倉歩兵236連隊(鯨部隊)内で歌われていた曲ともいわれる。 1953年〜1954年頃に丘京子が、1955年に鈴木三重子がレコードに吹き込んだ。そして1959年にはペギー葉山が歌い大ヒットした。 1958年にNHK高知放送局テレビ開始の記念番組として「歌の広場」にペギー葉山が登場し歌ったことがきっかけとなり、1959年5月にペギーの歌でキングレコードからシングル発売されると、発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒット〔読売新聞社文化部『この歌この歌手〈上〉運命のドラマ120』社会思想社、1997年、61頁。ISBN 4390116010〕となった。8月2日に日活で同作に封切、この映画に本人役として登場した。また、ペギーは同年の「第10回NHK紅白歌合戦」でも本楽曲を披露した。30年後の1989年の「第40回NHK紅白歌合戦」の第1部(昭和の紅白)にもペギーは本楽曲で出場した。 ペギーがレコード発売してから語り継がれる曲となり、ペギー葉山は1974年に2人目となる〔1人目は司馬遼太郎。〕高知県名誉県人が贈られた。 ペギーが歌手生活60周年を迎えた2012年には、高知市のはりまや橋公園に本楽曲の歌碑が設置され、ペギーも除幕式に出席した〔ペギー葉山感激 高知で「南国土佐を後にして」歌碑除幕式 スポニチ、2012年11月4日〕。碑は午前8時半から午後8時半まで1時間おきにペギー本人の歌声が流れ、隣に建てられた鯨の親子が潮を吹く仕組みになっている。 なおこの映画がヒットしたことを受けて製作されたのが、小林旭主演の「ギターを持った渡り鳥」などの「渡り鳥シリーズ」である。 この曲は、山下達郎の中学時代の恩師が大学へ進学する際に、師である武政が彼のことを思って書いた曲である(「ぴあ」での山下達郎へのインタビューより)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南国土佐を後にして」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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