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南小島不法占拠事件[みなみこじまふほうせんきょじけん]
南小島不法占拠事件(みなみこじまふほうせんきょじけん)とは、1968年に台湾人が尖閣諸島に属す南小島を占拠した事件である。なお、記事では当時の慣習に従い台湾政府のことを中華民国と呼称する。また当時は尖閣諸島問題は存在していなかった。 == 事件の背景 == 尖閣諸島は沖縄県を占領していたアメリカ合衆国の手により、日本の主権から分離された地域に含まれており、尖閣諸島近海はアメリカ合衆国海軍の爆撃演習海域に指定されており、大正島と久場島が含まれていた。なお尖閣諸島のうち大正島は国有地とされていたが、久場島と南小島など4島は那覇市在住の古賀善次が所有しており、琉球列島米国民政府は琉球政府を代理人として久場島の賃貸借契約を締結し、賃借料を支払っていた。また琉球政府は古賀に対し所有する4島の固定資産税を徴収するとともに、久場島の軍用地使用収入に対する源泉徴収を行っていた。 なお、尖閣諸島は戦後無人島になっていたことから自然が残されていた。しかし1968年に行われた環境調査によれば1963年に行われた調査と比較して鳥類の生息数が激減していた。これは中華民国政府が統治していた台湾の漁民が無断で乱獲しており、大量の卵を島から持ち出していたためであった。また周辺海域では沖縄の八重山諸島の漁民と台湾の漁民が対立していた。台湾漁民のなかには八重山の漁民を恐喝したり、八重山に上陸して窃盗する者や、タクシーに乗車しても代金を踏み倒す者もいるなど不法行為に走るものさえいた。これらは1968年当時に地元で問題になっており、琉球政府に対し八重山諸島の漁民が対応を求めていたが、琉球政府をコントロールしていたアメリカ合衆国政府は中華民国の蒋介石政権を大陸の中華人民共和国に対する「反共の砦」とみなしており、米華関係を重視する政策を取っており実行力のある干渉を行わなかった。 この状況に対し、1968年7月18日の朝日新聞の夕刊記事(記事の執筆者は当時那覇支局勤務だった筑紫哲也)によれば、尖閣諸島と八重山諸島に対する台湾漁民のこれら傍若無人ぶりが問題になっており、地元では台湾人による領土占拠の既成事実を、このまま放置すれば第二の竹島になる危惧を指摘する声もあったと伝えていたが、当時は中華人民共和国と中華民国双方から尖閣諸島に対する領有権主張は公式にはなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南小島不法占拠事件」の詳細全文を読む
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