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南島町(なんとうちょう)は、1955年(昭和30年)4月1日から2005年10月1日まで三重県度会郡にあった町である。国道260号が集落を縫って東から西に走り、水産業や林業が主な産業である。''奥志摩の秘境''と称されることがある〔るるぶ社関西編集部(2000):85ページ〕。 成立50周年を迎えた2005年10月1日に、隣接する南勢町との合併により南伊勢町となった。 == 地理 == 三重県の中南部、旧伊勢国の南端に位置し、東は旧南勢町、北は度会町・旧大宮町、西は旧紀勢町に接し、南は熊野灘に臨む。町境は紀伊山地や台高山脈に支脈が脊梁をなして険峻で峠やトンネルによって往来する。町の面積の92%を山が占める〔。 町内の集落間も、また峠越えの坂道でトンネルが多い。その陸路の交通の不便さから昭和40年頃までは「陸の孤島」と呼ばれていた。 海岸線は山が直接海に迫っている断崖絶壁のリアス式海岸で、その延長は約121キロメートルに及んでいる。三方を囲む山は500 - 700mと高山ではないが、いずれも南側斜面は険しく海に落ち込んでいる。 この地域の浦方(南島七浦)の阿曽浦、慥柄浦、贄浦、奈屋浦、神前浦、方座浦、古和浦など「浦」の付く地区は漁村である。また竈方(南島八ヶ竃)の大方竈、道行竈、小方竈、栃木竈、棚橋竈、新桑竈など「竈」の付く地区は平家集落(うち赤崎竈は廃村・相賀竈は旧南勢町)で、大江、道方、河内、村山、東宮など何も付かない地区は農村である。また慥柄浦(たしからうら)、贄浦(にえうら)、神前浦(かみざきうら)、新桑竈(さらくわがま)など難読地名が多い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南島町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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