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南川仁博 : ウィキペディア日本語版
南川仁博[みなみかわ じんはく]

南川 仁博 (みなみかわ じんはく、1892年(明治25年)11月 - 1984年(昭和59年)4月1日) は、日本の昆虫学者。旧姓は楚南(そなん)。鱗翅目(チョウ、ガ)や膜翅目(ハチ、アリ)の分類学的研究や、茶樹や柑橘類の害虫の研究を主に進めており〔中條 道夫(1985)「楚南さん, (名誉会員・南川仁博博士)のご逝去を悼み, その思い出一, 二を」昆蟲 53(1), 252〕、とりわけ台湾の害虫研究において先駆的な研究結果を残した〔。日本蛾類学会元会長、日本昆虫学会日本応用動物昆虫学会名誉会員。
== 略歴 ==
沖縄県那覇市に生まれ、幼い頃に台湾に移り住んだ〔日本応用動物昆虫学会(1984)南川仁博先生のご逝去をいたむ 日本応用動物昆虫学会誌 28(3) 187〕。台北成淵学校を卒業し、海軍への兵役を経て台湾総督府に就職〔。総督府では素木得一に師事し、主に茶樹や柑橘類の害虫とその天敵の研究などを進めた〔。
第二次世界大戦後は中華民国台湾省農業試験所に勤め、1947年に日本に帰国。農林省茶業試験場に赴任し、1960年に定年退職するまで茶の害虫の研究を進めた〔。退職後は日本植物防疫協会嘱託として勤務した〔。また1961年にはアカイラガの生態学的研究の結果によって、北海道大学より農学博士号を授与された。
1984年、肺炎のため千葉県の病院で死去。享年91、戒名は至心院釈仁慈〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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