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南条梅堂[なんじょう ばいどう] 南条梅堂(なんじょう ばいどう、生没年不詳)は安土桃山時代の僧で仏日山隆光寺二代住職。伯耆国の国人・南条氏の一族で俗名を「隆光」といった。 ==経歴== 伯耆国河村郡の南条一族で重臣の南条信正の二男として生まれる。幼少にして天正8年(1580年)8月の長和田・長瀬川の戦いに参陣するも敗れ、難を逃れるため出家し、仏門の道に入った。一説に合戦によって精神的なショックを受けたため、出家したともされる。八橋郡公文村光徳寺八世住職・天松和尚に弟子入りした後、諸国を修行して周り、帰郷後の慶長4年(1599年)3月、当時、久米郡下神村にあった仏日寺(龍光院)を現在地の松神村へ移した。(いずれも現在の鳥取県東伯郡北栄町)倉吉大岳院の宥山和尚を開山として招き、自らは二代住職となった。その際、山号を「仏日山」と改め、自らの俗名「隆光」を寺号に用いて、「仏日山隆光寺」と改めた。翌慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの後に西軍に属した南条氏が改易され、一族が他国へ逃れると、同一族の小鴨元清の子・元正を保護するなどしている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南条梅堂」の詳細全文を読む
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