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南淵年名 : ウィキペディア日本語版
南淵年名[みなふち の としな]
南淵 年名(みなふち の としな、大同3年(808年) - 貞観19年4月8日877年5月24日))は平安時代初期の公卿氏姓は南淵朝臣〔南淵朝臣は応神天皇の後裔で、もとは坂田朝臣であったが、弘仁14年(823年)に弘貞・年名ら一族は南淵朝臣の賜姓を受けた。〕。因幡権守南淵永河の子〔『日本三代実録』貞観19年4月8日条〕。あるいは永河の兄である参議南淵弘貞の子とも言われる。子に良臣がいる。官位正三位大納言
== 経歴 ==
天長9年(832年文章生となる。少内記丹波権大掾式部少丞六位蔵人を経て、承和8年(841年従五位下筑前に叙任。
文徳朝では、式部少輔/大輔を務める一方、蔵人頭として天皇の側近となり、加えて春宮権亮/亮として皇太子・惟仁親王にも仕えた。またこの間、仁寿3年(853年)従五位上、天安元年(857年正五位下、天安2年(858年従四位下と順調に昇進した。
同年11月惟仁親王の即位清和天皇)に伴い正四位下に叙せられると、勘解由長官右大弁・左大弁を経て、貞観6年(864年参議に任ぜられ公卿に列した。参議・左大弁・勘解由長官の任にあった貞観8年(866年)に応天門の変が起こると、参議・藤原良縄とともに伴善男の尋問に当たった。のち議政官として、民部卿・春宮大夫などを歴任し、貞観14年(872年従三位中納言、貞観18年(876年大納言、貞観19年(877年正三位に至った。その学識の高さをもって清和天皇の信任厚く、『貞観格』『貞観交替式』や『日本文徳天皇実録』の編纂作業に携わった。
没年となった貞観19年(877年)には、小野山荘に大江音人藤原冬緒菅原是善と参議に名を連ねていた知識人を招き、本邦初の尚歯会を開催したことでも知られる。同年4月8日没。享年70。最終官位は大納言正三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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