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南部 信房(なんぶ のぶふさ、明和2年6月15日(1765年8月1日) - 天保6年5月12日(1835年6月7日))は、陸奥国八戸藩の第7代藩主。第6代藩主南部信依の長男として生まれる。官位は従五位下、伊勢守。正室は溝口直養の娘(寳體院)。 == 生涯 == 天明元年(1781年)、父の死により藩主に就任。寛政8年(1796年)、弟・南部信真に家督を譲って隠居した。天保6年(1835年)死去。 信房は俳諧をたしなみ、「五梅庵畔李(ごばいあん はんり)」と号した。八戸の女流俳人の花月堂李州は信房の側室である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南部信房」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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