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南部信順 : ウィキペディア日本語版
南部信順[なんぶしんじゅん]

南部 信順(なんぶ のぶゆき)は、陸奥八戸藩の第9代(最後)の藩主。
== 生涯 ==
薩摩藩主・島津重豪の十四男として生まれる。天保9年(1838年)に八戸藩の第8代藩主・南部信真の婿養子として迎えられ、天保13年(1842年)に家督を相続する。重豪の息子の養子先は中津藩福岡藩外様ながら幕閣に列していた丸岡藩など有力藩が多く、2万石しかない小藩・八戸藩への養子は異例であった。お由羅騒動では、島津斉彬が薩摩藩主を継ぐよう幕府に運動した。
慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発すると、八戸藩は奥羽越列藩同盟の圧力を直に受けることとなる。というのも信順の実家が列藩同盟の敵方・薩摩藩であったために最初から仮想敵として見られていたからであった。信順は列藩同盟には家老を立ち会わせ、一方で官軍側に立った久保田藩と密かに連携するなど、この難局を上手く乗り切り、結局一度も戦闘に参加することなく八戸藩の存続に成功した。
明治2年(1869年6月22日には八戸藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県により知藩事職を辞任。同年に家督を長男の栄信に譲った。
翌明治5年(1872年)に死去、享年59。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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