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南部利幹[なんぶとしみき]
南部 利幹(なんぶ としもと)は、陸奥盛岡藩の第6代藩主。 元禄2年(1689年)、第4代藩主・南部行信の四男として生まれる。初め、父の命令により三戸氏を称した。宝永4年(1705年)に兄で5代藩主の信恩が死去したため、家督を継いで藩主となった。 領内の銅減産も重なって財政難が進行し、江戸の借財が10余万両にまで膨らみ、参勤交代費用にも窮する事態となった。これにより、享保8年(1723年)には家老以下を更迭し、諸役人を減員する倹約政策を断行して一定の効果を得た。しかし、他方では強引な政策に家臣の不満が高まった。 享保10年(1725年)に死去し、跡を養子の利視(兄・信恩の次男)が継いだ。また、次男の南部信起は家格旗本寄合席の旗本となった。 == 参考文献 ==
*「三百藩藩主人名事典1」(新人物往来社)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南部利幹」の詳細全文を読む
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