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南陽慧忠(なんよう えちゅう、675年(上元2年) - 775年(大暦10年))は、中国の唐代中期の禅僧。禅宗の六祖慧能の直弟子である。粛宗、代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。 == 生涯 == 慧能のもとで悟りを得た後、南陽の白崖山にある党子谷に庵を結び40年の間隠棲した。その後、皇帝粛宗の招請により都に上り、宮廷において教えを授けた。死後、皇帝は国師号を贈った。 中国では単に国師といえば、ほとんどの場合慧忠のことを指すといわれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「南陽慧忠」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nanyang Huizhong 」があります。 スポンサード リンク
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