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朝鮮民族(ちょうせんみんぞく)は、朝鮮語をそのアイデンティティー・母語とする民族。主に朝鮮半島およびその北部周辺地域に居住している。1948年に建国された韓国では韓民族(かんみんぞく)、倍達民族(ベダルみんぞく)と呼ばれる。人種的にはモンゴロイドに属する。 朝鮮民族による国家は、旧李氏朝鮮の故地に分断されたかたちで現在2国存在している。南側が韓国で、北側が北朝鮮である。それぞれ別個に国際連合に加盟しており、2つの独立した主権国家として国際的に認められている。文化的には、中国からの影響を強く受けながら、近年になり改良を加えられたチマチョゴリなどの服飾文化、キムチ、朝鮮式焼肉などの食文化(朝鮮料理)やパンソリ、タルチュムなどに独特の特徴が見られる。多くがハングルを使用する。 == 歴史 == 古代の朝鮮半島は現代と比べ人口も少なく諸種族が点在していたが、大きく分けて中国(燕・斉・趙)より渡来した半島中南部の馬韓、辰韓、弁韓などの三韓人〔古代において三韓と称される地域の居住者・渡来人を韓人と記録しているが、これは民族的系統上、現在の朝鮮民族との関連は不明である。韓人は、もともと燕・斉・趙に居住していた中国系の棄民であるとも推定され、それぞれを馬韓人、辰韓人等とも称し、風俗等も其々の集団ごとに異なっていた。〕や、半島北部と満州の沃沮(よくそ)、濊(わい)、扶余(ふよ)などの濊貊(わいはく)系、そして現代の満州族に繋がる挹婁、扶余、靺鞨、粛慎、その他には半島南部を中心に定住していた倭や、中国・シベリア地域から渡来した域外のエヴェンキ族等の諸民族が混雑していた。諸説あるが、これら種族の流入・混血が今の朝鮮民族の原型を成す。 その中の夫余から発展した高句麗が南下しながら半島に勢力を拡大し、これに連動するように半島中部で北部の馬韓諸国を統合した百済、半島東南部では辰韓諸国を統合した新羅が成立し、3国が鼎立するに至った〔「朝鮮民族」伊藤亜人『日本大百科全書』(小学館)〕。三韓時代を代表する百済、新羅、高句麗、倭国(任那)等の各国はそれぞれ種族の偏りはあれど国である。その後、半島東南部を根拠地とする三韓系の国家である新羅が、百済・高句麗などの扶余、濊貊系国家を打ち破って半島中南部を占拠し、半島北部と満州をつなぐ扶余系国家はなくなった。統一新羅の時代に新羅は旧百済や高句麗の一部の領域を支配し、これを治めていたが、住民の旧国家への帰属意識は依然と残り、新羅が滅び後三国時代に入る。また靺鞨が建国した渤海と対立したが、渤海の滅亡以後、新しく建国された高麗が帰順してきた一部の流民を受け入れた。こういったながれの中で、現在の民族意識の確立は13世紀頃とみられる。三国時代(新羅・高句麗・百済を指す)から民族集団としての歴史は受け継がれたされるが、モンゴルに支配された13世紀に入り『三国史記』の編纂や民族の啓発や統合が活発となり、13世紀後半に、現在の民族としての自己独自性の熟成と遺伝子的な一致がほぼ完成されたとみられる。 朝鮮民族の成立に影響した域外民族に漢族と満州族がある。朝鮮半島では古来から中国からの渡来人により征服(箕氏朝鮮)・植民され、「陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避し渡来した。(魏志東夷伝)」「辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を彼らに割いたと自言していた。(同前)」とある。また衛滿朝鮮の滅亡後、漢四郡がおかれ、漢によって半島北部が直接支配に入ることで漢人の流入があり、後に土着化する。李氏朝鮮の開祖である李成桂は満州族の前身にあたる女真族であるが李氏朝鮮による北進により征服され、捕まって奴隷となる者も多かった。 高麗の敗北により元の干渉、支配時期があったが。 南部においては百済・新羅・伽耶などに倭人が定住し、その結果として前方後円墳等の倭人の居住痕が今も残されている。 東北部には、女真人など、ツングース民族の流入・渡来が相次いだ。一説によると李氏朝鮮時代の王族(李氏)も、開祖がツングース系の名前を名乗っていたことや血縁関係の研究からツングース系民族の出自とされる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朝鮮民族」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Koreans 」があります。 スポンサード リンク
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