|
単枠指定制度(たんわくしていせいど)とは、かつて中央競馬の競走において行われていた勝馬投票券(馬券)の発売に関する制度。 == 解説 == かつて連勝式馬券は枠番連勝(枠連)しかなく、馬番連勝(馬連)は存在しなかった。これは複数頭の馬を1つの枠にくくることによって組み合わせ総数を抑え、配当を下げることにより射幸心を抑えることが目的であった。 しかし、ある出走馬に圧倒的な投票人気がある場合、その馬が出走取消および競走除外になっても、同枠に他馬がいる場合は残った馬が馬券に絡む可能性がまだあるため、馬券の返還を行うことができない〔同枠に残り1頭になった場合のぞろ目の枠連のみは、的中する可能性が全くないため例外的に返還される。〕。残った馬が人気薄の場合は、投票人気に比べてその馬券の的中する確率が著しく低下してしまう。これは公営競技で最も重要とされる公正性を著しく損なうことになりかねない。 このような問題を解消する方法として、圧倒的な投票人気があると予想される馬を1頭の枠に固定する制度が採用された。主催者である日本中央競馬会が、概ね単勝支持率が30%を超えることが推測され、投票人気が特に集中すると判断した出走馬を指定して1頭の枠(単枠)に固定し、他馬を同枠に入れないというものであった。 1973年の東京優駿(日本ダービー)でハイセイコーが66.7%の単勝支持率を叩き出したのが導入の契機となった。制度が最初に適用されたのは1974年の皐月賞で、ここまで無敗のキタノカチドキが単枠に指定された。この競走ではキタノカチドキが優勝している。その後1976年の菊花賞でトウショウボーイとクライムカイザーの2頭が単枠指定となったが、これは初の2頭同時の単枠指定競走となった。なお、1レースに選ばれる頭数はシステム上最大3頭で、第29回有馬記念(シンボリルドルフ・ミスターシービー・カツラギエースが指定された)などの例がある。また、重賞に限らず特別競走、一般競走においても単枠指定がなされることもある。 導入当初はシード制と呼ばれていたが、これは主催者による予想行為という解釈もでき、競馬法に反する制度ではないかという批判もあったため、後に名称が改められた。 また、出馬投票は最初に単枠指定馬の枠番(馬番ではない)を決めてから他馬の馬番を決めるため、枠番による有利不利を受けやすいという問題も抱えていた。キタノカチドキの東京優駿(日本ダービー)敗退はこれが一因でないかと言われている〔そのようにしないと、単枠指定馬以外の各枠の頭数が不均衡になってしまうおそれがある。キタノカチドキが出走した東京優駿は23頭立てであったが、残り22頭を3頭(最外枠のみ4頭)ずつ7つの枠に振り分けるため、キタノカチドキが取りうる馬番は1番・4番・7番・10番・13番・16番・19番・23番の8通りしかなかった。実際にキタノカチドキが引いたのは7枠19番であった。〕。 1991年10月5日からの馬連の全国発売開始に伴い廃止となり、9月22日、中山競馬場で行われたラジオ日本賞セントライト記念が最後の適用例となった。このときの単枠指定馬・レオダーバンは3着に終わっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「単枠指定制度」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|