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関釜連絡船[かんふれんらくせん]
関釜連絡船(かんふれんらくせん)とは、第二次世界大戦前の鉄道省(日本国有鉄道の前身)が本州の下関から日本領の朝鮮半島南端の釜山の間を運航していた鉄道連絡船である。また、戦時中に福岡市の博多港と釜山の間を運航していた博釜連絡船(はくふれんらくせん)についても記す。 ==概要== 同航路は、もともと私鉄の山陽鉄道傘下の山陽汽船が運航を開始した航路で、鉄道国有法によって山陽鉄道が国有化されたために国鉄の運営となったものである。第二次世界大戦前までは日本から朝鮮半島、満州国、中華民国そしてヨーロッパに至る国際連絡運輸の一部としての役割も担っていた。ほとんど独占企業であり、日本と朝鮮半島との間を結ぶ連絡船としては他には大阪と済州島を結ぶ「君が代丸」が存在する程度であった。 なお敗戦後は、しばらく大韓民国との間に国交がなかったこともあって同区間をする航路は存在しない状態が続いていたが、1965年の国交成立後の1970年(昭和45年)6月に25年ぶりの日韓定期航路として関釜フェリーが就航した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「関釜連絡船」の詳細全文を読む
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